美術

アートな生き方/ 執筆 Haruna

第一回  アートな生き方

執筆 Haruna

 

私はどう生きたら「自分らしい」と言えるのか。

 

ーこれまでの経緯ー

小学一年生の時に、友人の紹介で、
たまたま体験に行った造形教室がきっかけで
美術の世界に足を踏み入れた。

週に一度ではあったが、その造形教室に通う中で、
いつしか「絵を描いたり、造形物を作っている時間が唯一没頭でき、自分の世界を作れる空間だ」と思うようになった。

いつの日だったか、美術館で観たミレーの《落穂拾い》に深く感動した。
人の心を動かせるような、絵を描きたい・・。

私は小学校5年生の頃に「画家になろう」と決めた。

それを聞いた父に「絵で食べていくのは難しいぞ」と一言、言われたことを覚えている。

それから、中学校を卒業するまで造形教室に通い、高校進学と共に美術予備校に通い始めた。

高校3年生、初めての東京藝大受験。
東京藝大の一次試験は通過するが、二次試験で不合格。

その後、美術予備校で4年間の浪人生活の末、第一志望の東京藝大には合格しなかった。
このまま浪人生活を続けても、いつ合格できるのか自分自身に確信が持てなかったため、私立も受験した。

そして女子美術大学に進学。6年後には同大学院を修了した。

同じ頃に、新宿眼科画廊で個展をしていた、後に結婚することとなる夫に出会い、入籍した。

2019年には娘が生まれた。

大学生の頃からアルバイトをしていたが、
就職活動は上手く行かず・・(と言うのも当時の私の履歴書は、全く就活向きではなかった)

大学院を修了した後、仕事と子育てをしていたが、なぜかしっくりこなかった。

絵を描いていたい、社会とも繋がりたい、自分にしかできないことをしたい。

どんな方向性であれば自分らしく生きていると思えるのか、手探りの状態だった。

色々と試行錯誤をしていく中で、その時の興味・関心、コンディション・夫の助言によって、
少しずつパーツを替えたりズラしたりして、しっくりさせていった。

(色々と理由があり、既存の美術の仕組みとは距離を置いている)

その過程で、様々な葛藤を抱えながら、「絵を描く意味とは・・」と考えることが何度もあった。
勝手なイメージで「絵描きは、絵だけ描くもの・・?」
「専業主婦は家事育児だけしていればいいの?」という枠組みに縛られていたからだ。

しかし、週末に家族で各々絵を描くという生活を送る中で、
徐々に自分らしい日常を送っていると、実感を持てるようになった。

どんな形態を取っていても、その時の自分にとって、
しっくりしていれば問題ないと思えるようになった。

自分が楽しい、やりたいと思えることであれば、いくつでも並行してやった。

そしてできることなら、ギャラリーや既存の組織などに所属するのではなく、
自分達が主体となって仕事をしたい、と思うようになった。

2019年に結成した「山奥三つ葉 Yamaoku Mitsuha」は、私の核であると確信している。

小学生の時に父が「絵で食べていくのは難しいぞ」と言った一言は
決して私の「やりたいこと」を否定するのではなく、
ただ「その選択は難しい、たがその現実とどう向き合うのか?」と言う
問いかけだったのではと思う。